障害年金ストーリー「高機能自閉症・知的障害」その5 / 5


第9章


 せっかちな性格の私は、その後三輪さんからいつ書類をいただいてもいいように、作成できる書類などは作成し、連絡を待っていた。
 しかし4月に入り、桜が満開になり、散り始めてからも連絡はなかった。何度かメールはしていたが、返事もない。何かあったのだろうか?


 前回お会いした時の幾分疲れた様子も気になる。あの時は化粧をせず、紅潮した顔にマスクをつけていた。風邪でもこじらせたのだろうか。何度か電話したところ、聞き覚えのある声が電話の向こうから聞こえてきた。電話がつながったのは、英男さんの20歳の誕生日の後だった。

 「もしもし、三輪です」

 「あっ、三輪さん。社会保険労務士の米麦です。今お電話大丈夫ですか?」

 私は幾分ホッとして話しかけた。しかし、電話の向こうからは少し戸惑った調子で三輪さんが話す。

 「あの・・・すみません。実は、友子は今電話に出られないもので、電話で話しているのは母親なんです」

 言われてみると、声は似ているが、その話しぶりが幾らか異なる。三輪さんの声は、明るく活気があり、聞いている人にも元気をくれるが、お母さんの声には年相応と言おうか、落ち着きがあった。

 電話の相手は、三輪友子さん(英男さんのお母さん)のお母さん(つまり英男さんの祖母)だ、と言う。


 「あ、そうでしたか。それは失礼しました。友子さんはお電話に出られないとのことですけど、立ち入った話で恐縮ですが、何かご都合があるのですか」

 私のことは、以前友子さんから聞いていて知っていたようだ。社会保険労務士に英男さんの障害年金の申請を頼んだ、と。

 英男さんのお祖母さんの話によると、事情は以下のようだった。 3月20日に診断書を事務所までお持ちいただいた友子さん(英男さんのお母さん)は、何日か風邪をひいて体調が悪かったが、職場も人手不足で休む訳にいかなかった。だが、休まない理由はその他にもあった。話は15年前までさかのぼる。

 「うちの友子は、自分で好きな男と結婚し、こうやって子供たちを生んで、育てた訳ですが、15年前になんか…私からすれば、単純な理由で旦那と離婚したんです。私らの頃は、子供がいたら簡単には離婚できない、と思って皆こらえていたんでしょうけど、若い人らはそんなことは深く考えずに、簡単に別れる、ねえ…」

 「・・・」

 「友子もあれで、短大を出た後に銀行に勤めて、それで結婚して辞め、パートに出たりはしていましたが、あんな運転手なんて男がやる仕事を始めて…。私ら親には、お金の世話にはならないなんて意地を張りまして、それ以来ずっと働き通しなんです。英男の学校の行事にはなんとか出ましたけど、妹のりりあの行事はなかなか出られず、私が代わりに行ったりして…。それでもお金で親に世話にはならないって言って、頑固な娘でね…」


 私も話の展開が読めないままに、友子さんのお母さん(名前は知らない)の話を聞いていた。友子さんは、どうやら体調が悪くても無理をしてトラック運転手の仕事をし、事故を起こした、とのことだった。そういえば、うちの母親も新聞を見ながら、近くで交通事故があったようだと、ブツブツつぶやいていたように思う。

 私自身は、そんなことも知らずに、のん気に過ごしていたのだ。
 その時は、我ながら自分ののん気さを恥じた。大けがをして入院していたお客様の事態に、全く気が付かなかったとは。

 「それで、友子さんの容態はいかがなんですか? 電話に出られないなんて」

 「まあ・・・命には別状はないけど、両腕骨折で包帯ぐるぐる巻きで…。本当は自分で電話するって言って聞かなかったから、私がこうやって電話に出るから、って言って代わりに出てるんですよ。足も脛にボルトが入っているし…。本当無茶がたたって」


 30歳で離婚し、40代半ば(三十代に見えるが)の今日まで、ほとんど仕事を休まず、男勝りに働いたそうだ。お祖母さんは、田舎のおばちゃんらしく、話始めると止まらなくなってくる。しかし、私自身はその話を聞きながら、友子さんに対して申し訳ない気持ちになった。今回の年金申請で、もともと無茶していた友子さんに余計な負担をかけたんじゃないか、と。そう思うと、すぐにお見舞いに行かないと気が済まない。

しかし、お祖母さんは

 「お気持ちはありがたいですが、今はお見舞いはお断りしているんです。一応、女としてあまり寝込んでいる姿は見られたくないようで。ただ友子も、年金の申請のことは気にしていて。どうしたらいいんでしょう」

 私も今の仕事をしていて、何度か修羅場も経験した。しかし、今回のような事態は経験したことがなかった。三輪さん一家のピンチになんとか力にならなくては、と微力ながら思った。

第10章


 私はお祖母さんとの電話を切ると、すぐにお祖母さんのお宅に伺った。私の方で代わりに必要書類を揃えるため、委任状を英男さんに書いてもらうためだ。事故があって以降、英男さんはお祖父さん、お祖母さんの住むお宅で過ごしていた。妹のりりあさんは、独り自宅で留守番をしているそうだ。飼っているペットの世話もあるので、全く留守にはできないのだろう。

 お宅はT市内で、英男さんの家から車で5分ほどのところだった。
 ナビを頼りに車で向かうと、お祖母さんが玄関から出てきて、出迎えてくれた。T市内の中心部、商店街の外れにあるお宅には、書店の看板がさがっているが、現在は店はやっていない様子だ。

 お祖母さんは声も似ていたが、友子さんにそっくりの、小柄で笑顔の素敵なご婦人だった。娘さんが大変な事故にあっているにもかかわらず、悲壮感を見せずに、きびきびとした動きで私を自宅に迎え入れてくれた。書店を営んでいた一階部分を素通りして、居住スペースのある二階の方へ通してくれた。
 
 「おーい、ひでちゃん。お客さんが来ているから、こっち来て」

 お祖母さんは奥に向かって英男さんに呼びかけると、

 「えっ、なんだって?」

 と、低い野太い声で答えながら、英男さんが顔を見せた。

 
 英男さんは、最初の面談で療育手帳のコピーをいただいた際に顔写真ではお目にかかっていたが、お母さんとは違い、大柄で身長は180cm位はありそうだった。がっしりとした骨格で筋肉質の引き締まった体つきをしていた。いつも家でゲームをやっているというイメージから、私はもっとひょろっとした体格を想像していたが、想像とはずいぶんと違っていた。

 「ひでちゃん、こっち来て、お客さんのお話を聞いてくれる」

 「え、なんで」

 そう言うと、英男さんは私の目の前に腰を下ろした。笑顔を見せると、目がなくなる。お母さんのそれとダブって見えた。


 30分後、私は三輪さんのお宅を後にした。英男さんに書いてもらった委任状(英男さんがちょうど20歳になったので)や年金振込先通帳のコピー、印鑑などをお借りした。それで私は市役所へ行き、英男さんの非課税証明書や住民票を取得し、その他書類を揃えて、年金事務所に向かった。本来、英男さんの障害年金申請窓口は市役所でいいが、なじみの職員さんが多い、最寄りの年金事務所で障害年金の申請をすることにした。


 年金事務所の待合室で順番が来るのを待ちながら、私は別のことを考えていた。今日、三輪さんのお宅で見た写真が気になったのである。そんなことは仕事と本来関係のない、余計 な話なのだが、飾ってあった写真を見た私に気づき、話してくれたこと。写真には若いころ(というと失礼ですが)の友子さん、友子さんに手をひかれた幼い英男さん、それと見知らぬ男性に抱っこされた英男さんの妹、りりあさん、四人の写真だった。場所はお参りに来たのだろうか、近くの神社らしかった。

 「これはね、前に電話で話したかもしれないけど、友子が別れた旦那と家族四人で撮った唯一の写真なんですよ。これを飾っていることを友子が嫌がっているのは、私もよく分かっているんです。そして…本当はそれが友子を責めている…。そうなのかもしんないねえ…。そうなのかもしんない…」

 そう言うとお母さんは妙にしんみりしてしまい、黙りこくった。友子さんの母として、何か言葉にできない複雑な感情があること、なんとなくではあるが、そんなことを鈍感な私も感じた。

 「私も最初はなぜ離婚するんだ、と責めました。実際のところ、娘が一人で言い張ったことなんですよ。旦那は、この一郎君は本当に優しい、いい旦那さんでね。娘にはもったいないような人で。でも、それが…結局、娘を苦しめたのかもしんない。あんまりいい人だったから…。一郎君は、そりゃ一生懸命働いて、子供たちの事も可愛がってくれた。娘はいくら聞いても、『ごめんなさい。私が悪いんです』というだけで…」

 お祖母さんは、そこまで言うとまた黙ってしまった。

 私もそれ以上の言葉が出なかった。それで事務的なことだけ言い、お宅を後にしたのだった。

 写真で見た旦那さんの写真は、英男さんとは違い、小柄で、身長は160cm位だろうか、丸顔の、やはり笑顔が印象的な穏やかそうな人だった。何故だろう、その家族写真に私は違和感を覚えた。


 「じゃ、書類はお預かりしますね」

 年金事務所でなじみの職員さんからそう言われると、私は年金事務所を後にした。申請書類は特に問題なく、受理された。後は、結果を待つだけである。三輪さんのお祖母さんに電話で申請が無事すんだ旨報告し、私はお預かりした印鑑や申請書類のコピーなどをレターパックで三輪さんに郵送した。


 三輪さん(友子さん)からは、その後2か月ほど経って連絡があった。私も気になりつつも、お見舞いに行くでもなく、仕事にかまけて連絡もせずにいた。

 「三輪です。どうもご無沙汰しております。その節はご迷惑おかけしまして、全部先生にお任せになってしまい申し訳ありません」

 電話口では以前の明るい友子さんの声がした。


 「いえいえ、とんでもないです。こちらこそ、色々と仕事も忙しい中、私の方こそ無理させてしまいました。その後お加減はいかがですか?」

 「はい、おかげさまで無事退院しまして、今はリハビリ中です。まだ職場には迷惑かけておりますが、治療費もまた休職中も労災である程度補助が出るので、助かっています。そして、先生、今日年金機構から英男の年金証書が届きました」

 電話口で、三輪さんは明るく言った。私も「年金証書」という言葉を聞き、内心ほっとした。
 
 「おかげさまで年金証書が届きまして、障害2級と書かれていました」

 「そうでしたか。そりゃ、何よりでした。三輪さんも大変な思いをして手続きしましたし、私もうれしいです」

 その後、三輪さんとはお互いに感謝の言葉を口にして、私の方からは今後の流れ、障害年金の更新手続きなどを説明して、電話を切った。英男さんの障害年金は誕生月の翌月5月分から振り込まれることになる。おそらく来月の15日に振り込まれるだろう。


 友子さんは後1,2か月リハビリをして、職場に復帰するつもりだと言っていた。娘さんのりりあさんは、来年大学進学を目指し受験する予定とのこと。そのためにもお母さんは休んでいられない、と力強く友子さんは語った。子を思う母の愛情に勝るものはないと思う。だが、私は以前写真で見た友子さんの元夫、一郎さんのことを考えていた。その後一郎さんはどのような人生を送っているのだろうか? そして、友子さんのお母さんの、離婚した 時のことを話すときの表情。友子さんと一郎さんとの間には、他人には分からない深い葛藤があったのかもしれない。それを、15年たった今も友子さんは背負ったまま生きていて、それをお母さんは温かく見守っている。



 何故、友子さんは優しかった子煩悩の一郎さんと離婚したのだろう? シングルマザーとして、苦労を覚悟で、離婚しなければならない理由が、いったいどこにあったのか? あの時、ふと見せた悲壮感のようなもの。そして、写真の話をした時のお祖母さんの、どことなく奥歯に物が挟まったような話。

 社会保険労務士として年金の申請をしただけの私がとやかく考える話ではない。障害年金の認定がおり、今後の英男さんとご家族の生活に少しでも希望の明かりが灯れば、私は何よりである。それがこれまで自分を責め、生きてきた友子さんの気持ちを軽くしてくれることを切に願う。

                      (終わり (社会保険労務士 海老澤亮) )