障害年金ストーリー「高機能自閉症・知的障害」その2 / 5

第3章


 療育手帳がC判定と聞いて、私は自分の息子のことを思った。私の息子も特別支援学校に通い、療育手帳はC判定なのだ。ある意味、英男さんは私の息子の未来なのだ。

 「英男さんは、知的障害の他に高機能自閉症とのご診断なのですね」

 「はい」

 ご相談者の三輪さん(仮名)は続ける。

 「どこから説明したらいいか分かりませんが・・・。生まれたばかりでまだ言葉を話せない頃から、あまり目が合わない・・・こちらがじっと見ても、目を合わそうとしない子供だと思っていました。一人遊びが好きで、ミニカーを一列に並べては独りで夢中になって遊んでいました。私がパートに出て、そこに保育所があったのですが、そちらの保母さんは変だなと思ったのでしょう。病院を受診するように勧められまして、それで自閉症と言われたんです」

 三輪さんはその時まで、英男さんが自閉症だと考えたことはなかった。自閉症という言葉は聞いたことがあったが、果たしてそれがどういうものなのか、よく分かっていなかったのだ。

 自閉症って、引きこもりみたいなことでしょ? などと言われることも多いが、無知な人が無意識のうちに偏見を持って傷つけている事は、世の中に意外と多い。

 三輪さんもお医者さんの言葉がすぐには飲みこめなかった。あまり目を合わせることはないけど、話もするし、よく笑うし・・・。

 また、詳しい話は聞いていないが、三輪さんは現在シングルマザーとのことだった。勿論、こちらから立ち入った話を聞くつもりはない。

 「やっぱり、ひとり親で子供を育てるのは大変ですね。でも、実家の両親と娘が色々と子供の面倒をみてくれるので助かります。でも、両親もいつまでも元気でいられる訳ではないし、なんとか英男が多少、金銭面で自由にできるものがあれば、と考えています」

 そう言うと、それまでニコニコしていた友子さんの表情が幾分曇った。どことなく思いつめたような表情にも見えた。本人は無意識なのだろう。両手の指を急にからめて、落ち着きなく動かす。笑顔の奥に、悲壮感を漂わせていた。

 英男さんには3歳年下の妹さんがいて、現在高校生の妹さんも英男さんの面倒をみてくれるそうだ。しかし、妹さんも高校を卒業し、その後進学または就職するにしても、英男さんのことで彼女を縛る訳にはいかない。妹さんは、母の苦労を知って、嫌がらずに英男さんの世話を焼いているが、いつまでも期待することはできないだろう。
 今現在、独りで生活していくことが困難な英男さんには、何らかの経済的な支援が必要だろう。そうなると最も現実的なのが、障害年金を受給することだった。

 「なるほど。お話を伺いますと、確かに障害年金の受給が一番現実的な事かと、私も思います」

 私は続けた。

 「それでは、英男さんの普段の生活について、いくつか伺ってもいいですか?」

 私と三輪さんは、事務所のソファに向かい合ったまま、しばらく話し込んだ。面談は1時間半ほど続いた。その間に、私は英男さんの1日の生活サイクル、日常生活ではどんなことが得意で、どんなことが難しいかなど、細かく聞いた。しかし、三輪さんも細かな質問に嫌がらずに答えてくれた。彼女も必死だったのだろう。子を思う母親の愛ほど、強く、偉大なものはないと、オヤジである私は思う。母親の愛情に比べれば、父親の愛情は全然足りない。 それは私だけの話かもしれないが、自身の体を張って、この世に生を産み出した母親の愛情には、ある意味、畏敬の念を抱いている。

 「この仕事をしていると、私もつくづく思います」
 
 一通り話を聞いた後、お茶を飲みながら、私は三輪さんに言った。

 「やっぱり、お母さんの愛情は素晴らしいな、と思います。これは親父にはまねのできないものだな、と。親父は勝手ですよ。特に私なんかは、子育ては家内任せで、あまり学校の運動会などにも行きませんでしたし。家事もほとんどやらないし。ほんとダメです」

 そういって、私はお茶をすすり、一息ついた。しかし、言われた方の三輪さんは、何故か体をこわばらせるように、身構えた。うつむいたまま三輪さんは話した。

 「母親の愛情なんて、そんな…。私はダメな母ですよ。結局は子供たちに迷惑をかけている。親の勝手で離婚をして、私は突っ張って生きてきましたが、何だったのでしょう」

 そう言うと彼女は黙ってしまった。

第4章


 初回面談で色々と話を伺い、三輪さん(仮名)には障害年金申請を勧めた。三輪さんとは、その後契約書を取り交わし、障害年金の申請を弊事務所で代理することになった。

 英男さんは、毎朝7時ごろに起き、お母さんの作った朝食を食べ、お昼と夕食は近所に住む祖母が用意してくれ、それを食べている。


 お母さんは、その姿からは想像できなかったが、トラックの運転手をしているとのことだった。そのため、朝は早く、帰りも不規則で休みも少なかった。自分は父親代わりに家計を支え、両親に英男さんの面倒を見てもらい、妹さんにも高校から帰ると家事を助けてもらっていた。妹さんはもともと成績優秀で、地元の進学校に入ったとのことで、お母さんとしては妹さんに期待しているらしい。

 英男さんが普段の日常生活で行うことは、携帯ゲーム機を使ってのゲーム、漫画を読むことが主なことで、友達はいないとのこと。

家の手伝いはこれといってしておらず、食べ終わった食器を流しに運ぶこと、脱いだパジャマをたたんで所定の位置に運ぶことくらい。

普段から家族とは会話するものの、ごく限られた話題で、家で飼っているペットと、自分がやっているゲームの話を一方的にするくらいだった。子供のころから友達はできなかったが、本人は別に気にすることもなく、同級生の名前もほとんど知らなかったそうだ。


 また、学校の授業中など落ち着きがなく、周りに迷惑がかかることもあり、気持ちを落ち着かせる薬を継続的に服用していた。そのため、幼いころから病院通いは続けていて、近隣のA病院がかかりつけだった。そちらのB先生には10年以上お世話になっていて、英男さんの性格などもよくわかってくれているらしい。

 コンビニなどで買い物は一人でできるものの、算数の計算は苦手で、他の人が覚えられないような音楽や記号などはよく覚えるが、掛け算九九はいまだに苦手とのことだった。
 また、一つのことに熱中すると、他が見えなくなり、コンビニなどに財布を置き忘れてきたりするので、一人では行かせられなかった。以前は何を考えてか、コンビニのごみ箱に財布を捨ててしまったこともあった。

 高等部卒業後、通い始めた作業所は1週間ほど通うと、体調が悪いと言い始め、それから全く通えなくなった。


 「あの・・・診断書を書いてもらうほかに、初診日を調べる必要があるって、ネットで見たことがあるんですが・・・」

 三輪さんのお母さんから電話口で質問されたので、私は答えた。

 「そうなんです。通常ですと、一番最初にかかった病院で受診状況等証明書という書類を書いてもらう必要があります。しかし、英男さんの場合、知的障害ということで、その書類を用意する必要がありません。英男さんの場合、お医者さんに書いてもらう書類は、20歳前後3か月以内の状態の診断書1枚になります」

(社会保険労務士 海老澤亮)