障害年金ストーリー「高機能自閉症・知的障害」その1 / 5

障害年金ストーリー「高機能自閉症・知的障害」その1

 さて、これまで幣事務所では、申請された方の事例などはあえて掲載してまいりませんでした。今後も具体的な事例、コメント等の掲載は控えさせていただき、その代わりに完全フィクションとして、小説風ストーリーを社会保険労務士の海老澤亮が作成し、掲載してまいります。なお、著作権は海老澤亮に帰属いたします。

第1章


 「はい、米麦(よねむぎ)事務所の米麦です」

 なんとなく慌ただしい月曜日の午前9時過ぎ、私、社会保険労務士の米麦(よねむぎ)真一は事務所にかかってきた電話に出る。
 月曜日は一週間でも電話の多い曜日だ。事務所の電話と携帯電話が同時になることも珍しくない。そのうえ、月曜日は週刊少年ジャンプの発売日だ。うちの次男がジャンプの発売を楽しみにしているので、忘れずに買って帰らなくてはならない。何かと忙しい。

 なかでも朝にかかってくる電話は、急ぎの用であることが多い。かかってきた電話番号は見知らぬものだった。


 「もしもし…。社会保険…えーっと、何て名前でしたっけ?」

 電話口の向こうで、なんとなく不機嫌そうな男性の声がした。

 「はい、社会保険労務士の米麦事務所です」

 私はよくある質問で馴れっこだったので、普通に答える。

 「えっ…それって、昔の社会保険事務所じゃないの? 名前が紛らわしくて…。今なんて言うんだっけ?」

 どうやら、間違え電話だったらしく、私は年金事務所の電話番号を伝えて、電話を切った。
相手の男性は最後まで何か文句を言っていた。
  


 私の職業は社会保険労務士だが、よく皆さんから「何をしている仕事かわからない」と言われる。保険屋さんと間違われることが一番多いが、私自身は営業活動が苦手で、気の利いた営業トークは全くできないコンプレックスがあった。

 それは勤めていた職場でも同様で、上司に気の利いたことが言えず、うまく世渡りができなかった。社会保険労務士として独立したのも、実際のところは勤め人が勤まらなかったから、であった。全く自慢できる話ではないが…。

 社会保険労務士として私が開業して8年が経った。その間、地元茨城のお客様を中心に、企業経営者の方とご縁をいただき、人の採用から退職までの相談、対応をしてきた他、障害年金の申請業務を続けている。
 障害年金の仕事は、茨城県内では比較的早い時期から行っている。自分でもそれなりの申請実績があるとは思うが、かといって自慢するほどでもないだろう。
 社会保険労務士は人の役に立つ良い仕事と思っているが、時代の変化に敏感に対応していくことも当然求められるし、開業して時間がたつほどにこの仕事の難しさも感じている。
  
 社会のニーズを的確に読むことはなかなか難しく、事務所の取扱業務もどのように変化させていくか、など日々模索しているところだ。


 専門特化している事務所も多いのかもしれないが、取扱業務を極端に絞ることは考えていない。その仕事が何らかの理由でなくなった時、食っていけなくなる。それは困る。
もちろん、人のためになる仕事をすることが大前提だが、それ以上に家族を食わせていく、それを私の最優先事項にしている。家族が食えずにいては、はっきり言ってそれはやる価値のない仕事だと思う。


 前置きが長くなったが、今日は10時ごろに新規のお客様が来ることになっている。先日事務所にお電話をいただき、一度お会いすることになった。
 ご來所予定は、障害年金の申請を考えている女性で、申請者のお母さんである。障害年金のご相談は、ご本人以外にやはりご両親からが多い。お父さんからの相談も少なくないが、弊事務所ではお母さんからの相談の方が多かった。

 今回の相談者のお子さんは、あと三か月で20歳を迎える男性。小学校は特別学級で勉強し、その後特別支援学校中等部に入学、高等部を卒業後、就労支援施設B型に入所したが、長く続かず、現在は自宅で過ごしているとのことだった。

第2章

 ご相談者である三輪友子さん(仮名)は、桜川市の近隣T市から来た。電話の声も若々しかったが、見たところ30代半ばくらいにしか見えない。もうすぐ20歳になるお子さんがいるとは思えなかった。小柄な方で身長は150cm位だろうか。笑顔の素敵な、笑うと目がなくなる…優しいお母さんだ。今日はお子さんの英男さん(仮名)を自宅に残し、独りで車で来たとのことだった。

 「今日はわざわざお運びいただき、ありがとうございます」

 きれいな女性に緊張しながらも、私は事務所の中へ誘導し、ソファにおかけ頂く。

 「いえ・・・こちらこそ、お時間頂きまして・・・」

 三輪さんは言葉少なに、ソファに浅く腰を掛けた。

 「初めまして。社会保険労務士の米麦と申します」

 「三輪と申します」

 私は彼女に名刺を渡し、早速本題に入った。

 「障害年金の申請をお考えなのですね」

 「はい。でも、ママ友の話を聞くと大変そうで・・・」

 三輪さんはそのまま話し始めた。


 彼女の相談内容は、以下のようだった。

 お子さんの英男さんが特別支援学校を卒業した後も、当時学校で顔を合わせていたママ友とは、たまに連絡を取り合っていた。

 彼女を含め、特別支援学校を卒業した後どうやって生活していくか? は、親御さんにとって大きな問題だ。

 障害年金については、多くの親御さんがご存知な制度で、実際に申請される方も多かった。しかし、皆申請に苦戦している模様で、どうせならば信頼できる人にお願いしたい、とのことだった。

 彼女のお子さん、三輪英男さん(仮名)は、知的障害と高機能自閉症と診断を受けていた。療育手帳はC判定とのこと。

 「療育手帳がC判定だと・・・結構難しい、と聞いていて・・・。かといって、今は家にこもりっきりで働くどころか、人と会うのも嫌がって」



 療育手帳というのは、知的障害があると認定された方に交付されるものだ。身体障害者手帳、精神保健福祉手帳などと同様に、療養、行政サービスなどが受けられる。療育手帳には障害の程度が記載され、重度から特A、A、B、Cと判定があり、C判定は一番軽度だ。

 「療育手帳がC判定でも、障害年金を受給されている方は大勢います」

 私はゆっくりとした口調で続ける。

 「私が申請した方の多くは、療育手帳はC判定でした。でも、障害年金は日常生活がどれだけ困難か? ということで判定されますし、単純に手帳の判定だけでは決められないです」


 精神障害がある場合に交付を受けることのできる、精神保健福祉手帳は重度のものからそれぞれ1級、2級、3級と等級がある。そして、精神保健福祉手帳の申請をするための診断書は、障害年金の診断書と審査項目が類似している。

 障害年金の年金証書が交付され、それを市役所に持っていくと、年金証書と同じ等級の精神保健福祉手帳を交付してもらえる。

 (例えば、障害等級2級の年金証書を持っていくと、精神保健福祉手帳も2級で交付される。)

 そのため、精神疾患の方で、精神保健福祉手帳をお持ちの方から相談を受ける場合は、その方が何級の手帳をお持ちか? 聞いてみる。それで初めて会った方の障害の程度に当たりをつけている。
 でも、例えば、精神保健福祉手帳が3級だからと言って、年金証書の程度が3級になるかというと、そうはならないのだ。年金証書の等級が手帳に反映されても、その逆はないのだ。

 実際に、これまで申請した中で、手帳は3級でも年金証書は2級というのは「よくある話」だった。
(次回に続く。 (社会保険労務士 海老澤亮) )

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